約 344,104 件
https://w.atwiki.jp/hakikewomoyo-sujyaku/pages/646.html
THE KING OF FIGHTERS XVはコンピュータゲームの一つ。 プロフィール ジャンル - 対戦型格闘ゲーム 対応機種 - プレイステーション4 / プレイステーション5 / Xbox SeriesX/S / Windows(Steam) 開発・発売元 - SNK 発売日 - 2022年2月14日 定価 - プレイ人数 - 1~2人 廉価版 - 判定 - ポイント - 概要 ザ・キング・オブ・ファイターズのナンバリングタイトルの第15作目にあたる。 特徴 キャラクター 本作で登場するキャラクターの中には近年では登場しなくなっていたちづるやオロチ四天王(ゲーニッツ・他の3人の裏キャラクターはDLCキャラクター)が本作で復活を果たし前作では登場しなかったアッシュ・クリムゾンが本作では復活を果たした。また、DLCキャラクターとはいえKOFシリーズを代表するボスキャラである吐き気を催す邪悪の一人であるオメガ・ルガールも復活を果たした。 「98」「2002」のような過去作キャラ再登場のお祭りゲーを本筋のストーリーで行うような、そんなキャラクター達が勢ぞろいしている。 評価点 本作における草薙京は髪型が過去のものに戻りオロチ編までにしていた鉢巻きを再びするようになるなど頭部分が初代やオロチ編に近くなりある意味草薙京らしくなっている。 とあるキャラクターの大復活KOFシリーズの歴史の影に葬られたはずの「とある過去のキャラクター」が本作においてついに奇跡といってもよい大復活を遂げる事になる。 本作の新キャラクターの一人であるキャラクターの正体として登場するので名前や服装や恰好が大きく変わっており、この新キャラクターの正体があの過去のキャラクターである事はとあるチームのエンディングでしか明かされないが、それでもこの過去のキャラクターが再び表舞台に姿を現した事は褒められる点である。 このキャラクターは、某作品のパクリであるためKOFシリーズに出しづらくなっており、KOFのリメイク作品で別のキャラクターに差し替えられた事もあり、名前や服装などを大きく変更したとはいえ大復活を遂げた事は奇跡といえる。声優が変更されているとはいえ、このキャラクターに限っていえば正解といえよう。 もっとも、この新キャラクターには、某キャラクターの面影があるので本作の発売前からこの新キャラクターとこの過去のキャラクターが同一人物であると見抜いていたプレイヤーもいた。 また、このキャラクターは元々「とあるキャラクター」とコンビを組んでいた。そのキャラ自身は前作で既にKOFシリーズ復活を果たしていたのだが、今作で「かつての相棒」だった彼が参戦した事によって、本作をもって遂にこのコンビが復活する事にも繋がった。 賛否両論点 問題点 総評
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/291.html
我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。 ~ 文部省刊『国体の本義』(昭和12年(1937)5月) <目次> ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義◇1.国体の定義 ◇2.国史の真義 ■3.近代日本の国体論の展開 ■4.国体論と「皇国史観」◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 ■5.所謂「国体主権」論について ■6.ご意見、情報提供 ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ※サイズが合わない場合は こちら をクリック ※上図の説明は、国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) へ ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義 『国体の本義』の第一章「第一 大日本国体」は、国体の定義を、また第二章「第二 国史に於ける国体の顕現」は、国史の真義を、それぞれ詳解している。各章の冒頭部分のみ以下に引用する。 ◇1.国体の定義 第一 大日本国体 一、肇国 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国(てうこく)の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。 ◇2.国史の真義 第二 国史に於ける国体の顕現 一、国史を一貫する精神 国史は、肇国の大精神の一途の展開として今日に及んでゐる不退転の歴史である。歴史には、時代の変化推移と共にこれを一貫する精神が存する。我が歴史には、肇国の精神が儼然と存してゐて、それが弥々明らかにせられて行くのであるから、国史の発展は即ち挙国の精神の展開であり、永遠の生命の創造発展となつてゐる。然るに他の国家にあつては、革命や滅亡によつて国家の命脈は断たれ、建国の精神は中断消滅し、別の国家の歴史が発生する。それ故、建国の精神が、歴史を一貫して不朽不滅に存続するが如きことはない。従つて他の国家に於て歴史を貫くものを求める場合には、抽象的な理性の一般法則の如きものを立てるより外に道がない。これ、西洋に於ける歴史観が国家を超越して論ぜられてゐる所以である。我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。それ故我が国に於ては、国史は国体と始終し、国体の自己表現である。 (参考).『国体の本義』全文 http //www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html ※上記のように、日本を天皇を中心とする神の国と捉える歴史観は、主に戦後、マルクス主義歴史学者によって「皇国史観」と呼ばれてきた。 ■3.近代日本の国体論の展開 ※おおよそ、以下の4段階を踏んで現代に至っている。 (1) 政治的「国体」観念の創出 (メルクマール)大日本帝国憲法(1889年 発布、1890年施行)、教育勅語(1890年 煥発) 江戸期には、文化的「国体」観念(天皇は日本という文化的共同体の結晶核であるとする観念)が主流であり、政治的「国体」観念(権威者たる天皇は、権力者たる征夷大将軍の任命、条約勅許、元号制定など政治的意義をも有することの認識)は一般には希薄だった 欧米列強の脅威に反応して興起した後期水戸学(会沢正志斎『新論』(1857年)が代表的)の普及により、政治的「国体」観念が自覚されるようになった 「君権ヲ機軸」として政治体制を整備する必要性→政治的「国体」観念の創出(天皇は文化的共同体に加えて政治的共同体の結晶核としての役割をも期待されるようになる。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス、天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ・・・) 明治維新の性格規定→「一味神水」の「一揆」史観(新田均氏)、近代国民国家の創出の必要性(エトニethnieからネイションnationの創出へ) L正統(Legitimacy 治統)とO正統(Orthodoxy 学統)→西洋はO正統(キリスト教会)の権威からL正統(皇帝権・王権)を創出したが、日本はL正統(皇統)の権威からO正統(政治的「国体」観念)を創出・・・従って日本ではO正統(政治的「国体」観念)はあくまでL正統(皇統)の影であって、正統性の本体はL正統である。(植村和秀氏) 政治的紛糾を呼びやすい思想・哲学的な国体論ではなく、天皇と国民の協働による国家の発展という「国史」に重点を置いた国体論の強調(西洋のような保守思想の発達とは対照的に、日本では「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向・・・100の理屈よりも1つの事実の方が説得力がある。日本は奇跡的に万世一系が続いている国であり、西洋の様に抽象的な理屈・思想で国家の正統性を確保する必要は薄い⇒「保守-思想」ではなく「皇国-史観」が前面に出て皇統と国体を護持) (2) 雑多な国体論の容認 (メルクマール)『国体論史』(1921年 内務省神社局刊) 国民各層の幅広い団結を促す必要性⇒「国体」観念の習合思想化(雑居性) 日本では古来から、国体の雑居性自体が伝統化していた(融通無碍) (3) 国体論の帰一 (メルクマール)『国体の本義』(1937年 文部省刊) マルクス主義は日本史上、ほとんど初めて「国体破壊」を強烈に志向した思想であり、第1次世界大戦中のロシア革命、ドイツ・オーストリアさらにはトルコの4大帝国の崩壊(それ以前の辛亥革命=清朝の崩壊も併せて)に刺激を受けて、共和制や社会主義・共産主義への移行が歴史の必然であると確信する学生・知識人が大量に発生し、コミンテルンが干渉してこの趨勢を助長。 こうした マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想としての役割が「国体」に期待される⇒『国体の本義』編纂・刊行へ。 日本主義(国体の本義に則って西洋思想を益々醇化摂取し、より一層わが国を発展させるとする「開かれた社会」の思想) (4) 国体論の変容と自壊 (メルクマール)『臣民の道』(1941年 文部省教学局刊) アジア主義(東西文明対抗史観の影響)の追認 総力戦体制 八紘一宇(大東亜共栄圏の根拠づけ) 敗戦後は再び、文化的「国体」観念が主流へ(「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・」) ◎参考図書 ※なお、当サイトの丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 のページも参照。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) PHP研究所 (2003/02刊) ※amazonで一部ページを拝見できます。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 ※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。 目次 [第1部]「現人神」という幻想第1章 通俗的な「現人神」論の崩壊第2章 明治初期から「教育勅語」の発布のころまで第3章 「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで第4章 第一次世界大戦から満洲事変のころまで第5章 満洲事変以降第6章 「創られた伝統」としての「現人神」[第2部]「国家神道」という幻想第1章 「国家神道」は如何にして創られたか――「幻想」の系譜をたどる第2章 神社参拝は「法的に」強制されたか?第3章 強制された「事実」とは?第4章 「神社非宗教」論とは何だったのか第5章 「幻想」を必要としているのは誰か第6章 蜃気楼が消えた後には? ★評価豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は異常な絶対主義君主国家・ファシズム国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著。「国体」観念の展開に関しても説得力ある論説が展開されている。 ■4.国体論と「皇国史観」 上記の様に日本では、国家の正統性を国民に訴求する上で、「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向が見られた。 こうした戦前の国史に表れた歴史観を主に戦後「皇国史観」と呼んでいる。 ◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 【皇国史観】こうこく-しかん(広辞苑) 国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国として描く歴史観。十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた。 ◎補足説明 実際には「皇国史観」には、 ① 大東亜戦争の渦中で、文部省によって、主に高級文官試験用の公定歴史解説書として編纂され、東亜諸地域を包摂する新しい歴史観・国体観を打ち出した『国史概説』(1943-44刊行)及び、その大東亜地域版である『大東亜史概説』(編纂のみで未刊)に代表される「皇国賛美史観(文部省史観)」と、 ② 1930年半ばから、東京帝大国史学教授 平泉澄とその門下によって唱えられた日本一国主義の立場に立つ「皇国護持史観」の二種類があり、また ③ 大川周明の「東西文明対抗史観」は、①と親和性が高い。(※①は、大川周明などアジア主義者の東西文明対抗史観の影響下に現出された東アジアの状況を、総力戦体制下で政府が追認したものと捉えることができる。) 広辞苑の定義は、「十五年戦争」という支那寄りの用語に見るとおり、自虐的・日本断罪的で一方的な左翼史観から書かれているが、近年は同じ左翼陣営でも、より実証的に「皇国史観」や「国体論」の内実を検討した著作が幾つか刊行されている。 『近代日本の国体論―“皇国史観”再考』 昆野 伸幸 (著) ぺりかん社 (2007/12刊) 内容(「BOOK」データベースより)明治以後の植民地政策によって展開された国体論が近代的学知との激しい相剋を見せた昭和十年代に注目し、歴史認識の次元から大川周明・平泉澄を詳細に分析することにより、従来の国家主義的歴史観とは区別される“皇国史観”固有の特質を解明する。 目次 国体論研究の視角第1部 国体論の胎動(大川周明『列聖伝』考/平泉史学と人類学/平泉澄の中世史研究)第2部 国体論の対立(平泉澄の「日本人」観/大川周明の日本歴史観/大川周明『日本二千六百年史』不敬書事件再考)第3部 国体論の行方(「皇国史観」の相剋/大川周明のアジア観/三井甲之の戦後)国体論の帰結 『「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策』 長谷川 亮一 (著) 白澤社 (2008/01刊) 内容(「BOOK」データベースより)戦前の歴史観の代名詞「皇国史観」は、非科学的、独善的、排外的などとして、戦後しりぞけられてきた。しかし、そもそも「皇国史観」とは何であったのか?誰が、何のために提唱し、普及させたのか?本書は、「皇国史観」の成立と流布を、戦中に文部省が行なった修史事業に着目して再検証し、従来のイメージを一新。「皇国史観」の何が、いかに問題であるのかを明らかにする。 目次 第1章 戦後における「皇国史観」をめぐる議論の展開第2章 近代国体論の変容第3章 「皇国史観」の提唱と流布第4章 『国史概説』の歴史像第5章 『大東亜史概説』の歴史像第6章 国史編修事業と国史編修院 ★上記2冊は、あくまで「皇国史観」「国体論」の現状での中心的研究者の認識が分かる図書として紹介している。早くこのような、未だに左翼史観から抜けきれない中途半端な著作物が「先行研究」と呼ばれる日が来ればいいのだが。 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 上記二名の研究者によれば、現実に「皇国史観」という用語を使用していたのは、①大東亜戦争中の文部省の側であり、その意味では「皇国史観=①文部省史観(皇国賛美史観・・・汎アジア主義的史観)」なのだが、本ページ上部の見取り図に示したとおり、大東亜戦争の敗戦によって、①文部省史観や、③大川周明の東西文明対抗史観の成立基盤が消滅してしまったことから、戦後は専ら、②平泉学派の「皇国護持史観」が、「皇国史観」として、マルクス主義者や戦後民主主義者といった左翼から、批判・中傷されることになった。 左は、2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回【天皇と憲法】。「皇室廃止」を狙うNHKを始めとする左翼の本音がたまたま表に出た貴重な番組の動画である。※動画の平泉澄の「皇国護持史観」は、日本一国主義(非アジア主義)的史観であり、その内容を一言で表現すればわが国体こそ、寛容で価値多元的な日本的世界(日本的公共性)のコアである。日本国民はこれを護り続けなければならない。ということに尽きる。これは『国体の本義』の論旨そのものであって、何ら左翼から中傷される云われはない。 チャンネル桜で放送された上記動画の検証番組。国体論とは少し外れるが、NHKなど戦後左翼の欺瞞振りを詳しく確認できる。 丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義 植村 和秀(著) 柏書房 (2004/10)単行本 目次 第1章 政論記者丸山真男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山真男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山真男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義 ★評価丸山眞男といえば、進学校の学生が全共闘世代の教師に「夏休み(冬休み)の課題に 『日本の思想』(岩波新書) の中の一章を読んで感想を書け」と言われて、面白くも無いヘンテコで拗けた文書を読まされて難儀するのがオチの“戦後日本を代表する政治思想家”なのだが、そうした丸山の思想に半ば洗脳されていた著者(京産大法学部教授、ドイツ政治思想史専攻)が、京都の古本屋でたまたま、丸山眞男と思想的に対極にある平泉澄の戦前の著作を手に取り、その流麗な文体・精緻な論理構成に打たれて、可能な限りの事実検証・文献検証を重ねて両者の思想的対立の根源に迫った好著。「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」(著者:植村氏)…丸山眞男的あるいは進歩派文化人的な「戦後民主主義」思想にドップリ漬かった人への解毒剤としてお勧め。また昭和初年~昭和40年頃までの日本の思想状況の本当の所を知りたい人にもお勧めしたい。「生きて皇室を守るべし。雑草を食っても生きよ」終戦前後の混乱期における平泉同学の知られざる奮起、まさに大日本帝国の殿(しんがり)としての貢献、阿南惟幾・下村定の陸軍最後の二人の陸相と平泉博士とのエピソードも興味深い。相当にハイレベルだが、“理論派保守”を目指す人は是非挑戦してほしい。amazonブックレビューも参照のこと。 昭和の思想 植村 和秀 (著) 講談社選書メチエ(2010/11)単行本 内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。 目次 第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派第6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価上記『 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 』が内容的にハイレベルすぎて、初心者のみならず中級者でさえ中々に読みこなせないという難点に答えるかのように2010年秋に出版された簡潔な昭和期政治思想の概略本。 ■5.所謂「国体主権」論について 明治憲法体制は、天皇主権でも国民主権でもなく(英米法の「法の支配」に似た)「国体主権」である、と云われることがある。 確かにその論には一理以上のものがある(※佐藤幸治『憲法 第三版』にもそうした記述がある)のだが、「君主といえども神と法(=国体)の下にある」という建前を採るとしても、大東亜戦争の終戦を決定した聖断のケースに見るように、日本においては慣習的にみて「国体の最終判定権者=天皇」でしか有り得ない(神の権威も国体も天皇が代表しているため)のであり、結局は、「国体主権=天皇主権」となると思われる。(西洋的な絶対君主という意味ではなく、「国体の最終判定権者」という意味で) 昭和初期~戦中に、天皇=主権者とされたのは、この意味においてである。 なお、ドイツの代表的政治学者・憲法学者カール.シュミットの定義によれば「例外状況下で決定を下す者を主権者という」とされ、2.26事件やポツダム宣言受諾のケースにおける天皇は、この定義にピタリと該当するほか、実は「議会主権」と云われるイギリスにおいても「議会における女王の制定するものが法である」というルールが同国の法体系の「究極の認定(承認)ルール」とされている(ハートの法概念論⇒詳しくは よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) 参照)。 (※なお、アメリカでは連邦最高裁判所が最終決定権者とされている。) こうした国体の法的把握(=国体法 constitutional law、国制)に関して、詳しくは、日本国憲法改正問題(上級編) を参照。 ■6.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック + ... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/peaceonpeace/pages/261.html
総務省は20日、テレビ番組「発掘!あるある大事典2」でのデータねつ造について、週明けから関西テレビに対して事実関係を調査する方針を明らかにした。放送法では「報道は事実をまげない」と定めており、同省は調査を経て、関西テレビに対して厳重注意と再発防止に向けた体制づくりを求める行政指導を行う見通しだ。 また、放送法では、テレビ局などが放送内容に真実でない事項を見つけた場合には、訂正または取り消しの放送をしなければならないと定めている。しかし、同省幹部は「訂正放送は、間違った放送で権利侵害した場合を想定しており、今回のケースは該当しないだろう」とみている。
https://w.atwiki.jp/nuke_quake/pages/14.html
ここを編集 平常時の発電にかかる費用コスト 初期投資額、運転費用、処分費用 時間軸 過去(国内 海外) 現状(国内 海外) 将来予想(国内 海外) 非常時(原発事故発生時)にかかる費用 事故の分類 放射性物質放出量によるレベル分類 原因別発生確率 費用項目 健康被害による被害者および日本政府が負担する医療費 海外輸出額への影響 居住不可能な期間の国土の地価 健康への影響 事故発生の有無 平常時 非常時(原発事故発生時) 時間軸 1年,10年,100年 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/299.html
↓やっぱり論点が違うだろう 2005/ 3/ 9 6 20 [ No.31293 / 39216] 投稿者 ja2047 三たび繰り返すが、oj氏は「事件の立証」について語っているのではない。 勝谷誠彦氏の「不可能性の証明」が証明として成立しておらず、 人だましの悪質な行為である、 と指摘しているのだ。 これは メッセージ 31292 deliciousicecoffeeさんに対する返信です 戻る
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/1444.html
我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。 ~ 文部省刊『国体の本義』(昭和12年(1937)5月) <目次> ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義◇1.国体の定義 ◇2.国史の真義 ■3.近代日本の国体論の展開 ■4.国体論と「皇国史観」◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 ■5.所謂「国体主権」論について ■6.ご意見、情報提供 ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ※サイズが合わない場合は こちら をクリック ※上図の説明は、国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) へ ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義 『国体の本義』の第一章「第一 大日本国体」は、国体の定義を、また第二章「第二 国史に於ける国体の顕現」は、国史の真義を、それぞれ詳解している。各章の冒頭部分のみ以下に引用する。 ◇1.国体の定義 第一 大日本国体 一、肇国 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国(てうこく)の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。 ◇2.国史の真義 第二 国史に於ける国体の顕現 一、国史を一貫する精神 国史は、肇国の大精神の一途の展開として今日に及んでゐる不退転の歴史である。歴史には、時代の変化推移と共にこれを一貫する精神が存する。我が歴史には、肇国の精神が儼然と存してゐて、それが弥々明らかにせられて行くのであるから、国史の発展は即ち挙国の精神の展開であり、永遠の生命の創造発展となつてゐる。然るに他の国家にあつては、革命や滅亡によつて国家の命脈は断たれ、建国の精神は中断消滅し、別の国家の歴史が発生する。それ故、建国の精神が、歴史を一貫して不朽不滅に存続するが如きことはない。従つて他の国家に於て歴史を貫くものを求める場合には、抽象的な理性の一般法則の如きものを立てるより外に道がない。これ、西洋に於ける歴史観が国家を超越して論ぜられてゐる所以である。我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。それ故我が国に於ては、国史は国体と始終し、国体の自己表現である。 (参考).『国体の本義』全文 http //www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html ※上記のように、日本を天皇を中心とする神の国と捉える歴史観は、主に戦後、マルクス主義歴史学者によって「皇国史観」と呼ばれてきた。 ■3.近代日本の国体論の展開 ※おおよそ、以下の4段階を踏んで現代に至っている。 (1) 政治的「国体」観念の創出 (メルクマール)大日本帝国憲法(1889年 発布、1890年施行)、教育勅語(1890年 煥発) 江戸期には、文化的「国体」観念(天皇は日本という文化的共同体の結晶核であるとする観念)が主流であり、政治的「国体」観念(権威者たる天皇は、権力者たる征夷大将軍の任命、条約勅許、元号制定など政治的意義をも有することの認識)は一般には希薄だった 欧米列強の脅威に反応して興起した後期水戸学(会沢正志斎『新論』(1857年)が代表的)の普及により、政治的「国体」観念が自覚されるようになった 「君権ヲ機軸」として政治体制を整備する必要性→政治的「国体」観念の創出(天皇は文化的共同体に加えて政治的共同体の結晶核としての役割をも期待されるようになる。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス、天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ・・・) 明治維新の性格規定→「一味神水」の「一揆」史観(新田均氏)、近代国民国家の創出の必要性(エトニethnieからネイションnationの創出へ) L正統(Legitimacy 治統)とO正統(Orthodoxy 学統)→西洋はO正統(キリスト教会)の権威からL正統(皇帝権・王権)を創出したが、日本はL正統(皇統)の権威からO正統(政治的「国体」観念)を創出・・・従って日本ではO正統(政治的「国体」観念)はあくまでL正統(皇統)の影であって、正統性の本体はL正統である。(植村和秀氏) 政治的紛糾を呼びやすい思想・哲学的な国体論ではなく、天皇と国民の協働による国家の発展という「国史」に重点を置いた国体論の強調(西洋のような保守思想の発達とは対照的に、日本では「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向・・・100の理屈よりも1つの事実の方が説得力がある。日本は奇跡的に万世一系が続いている国であり、西洋の様に抽象的な理屈・思想で国家の正統性を確保する必要は薄い⇒「保守-思想」ではなく「皇国-史観」が前面に出て皇統と国体を護持) (2) 雑多な国体論の容認 (メルクマール)『国体論史』(1921年 内務省神社局刊) 国民各層の幅広い団結を促す必要性⇒「国体」観念の習合思想化(雑居性) 日本では古来から、国体の雑居性自体が伝統化していた(融通無碍) (3) 国体論の帰一 (メルクマール)『国体の本義』(1937年 文部省刊) マルクス主義は日本史上、ほとんど初めて「国体破壊」を強烈に志向した思想であり、第1次世界大戦中のロシア革命、ドイツ・オーストリアさらにはトルコの4大帝国の崩壊(それ以前の辛亥革命=清朝の崩壊も併せて)に刺激を受けて、共和制や社会主義・共産主義への移行が歴史の必然であると確信する学生・知識人が大量に発生し、コミンテルンが干渉してこの趨勢を助長。 こうした マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想としての役割が「国体」に期待される⇒『国体の本義』編纂・刊行へ。 日本主義(国体の本義に則って西洋思想を益々醇化摂取し、より一層わが国を発展させるとする「開かれた社会」の思想) (4) 国体論の変容と自壊 (メルクマール)『臣民の道』(1941年 文部省教学局刊) アジア主義(東西文明対抗史観の影響)の追認 総力戦体制 八紘一宇(大東亜共栄圏の根拠づけ) 敗戦後は再び、文化的「国体」観念が主流へ(「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・」) ◎参考図書 ※なお、当サイトの丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 のページも参照。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) PHP研究所 (2003/02刊) ※amazonで一部ページを拝見できます。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 ※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。 目次 [第1部]「現人神」という幻想第1章 通俗的な「現人神」論の崩壊第2章 明治初期から「教育勅語」の発布のころまで第3章 「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで第4章 第一次世界大戦から満洲事変のころまで第5章 満洲事変以降第6章 「創られた伝統」としての「現人神」[第2部]「国家神道」という幻想第1章 「国家神道」は如何にして創られたか――「幻想」の系譜をたどる第2章 神社参拝は「法的に」強制されたか?第3章 強制された「事実」とは?第4章 「神社非宗教」論とは何だったのか第5章 「幻想」を必要としているのは誰か第6章 蜃気楼が消えた後には? ★評価豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は異常な絶対主義君主国家・ファシズム国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著。「国体」観念の展開に関しても説得力ある論説が展開されている。 ■4.国体論と「皇国史観」 上記の様に日本では、国家の正統性を国民に訴求する上で、「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向が見られた。 こうした戦前の国史に表れた歴史観を主に戦後「皇国史観」と呼んでいる。 ◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 【皇国史観】こうこく-しかん(広辞苑) 国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国として描く歴史観。十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた。 ◎補足説明 実際には「皇国史観」には、 ① 大東亜戦争の渦中で、文部省によって、主に高級文官試験用の公定歴史解説書として編纂され、東亜諸地域を包摂する新しい歴史観・国体観を打ち出した『国史概説』(1943-44刊行)及び、その大東亜地域版である『大東亜史概説』(編纂のみで未刊)に代表される「皇国賛美史観(文部省史観)」と、 ② 1930年半ばから、東京帝大国史学教授 平泉澄とその門下によって唱えられた日本一国主義の立場に立つ「皇国護持史観」の二種類があり、また ③ 大川周明の「東西文明対抗史観」は、①と親和性が高い。(※①は、大川周明などアジア主義者の東西文明対抗史観の影響下に現出された東アジアの状況を、総力戦体制下で政府が追認したものと捉えることができる。) 広辞苑の定義は、「十五年戦争」という支那寄りの用語に見るとおり、自虐的・日本断罪的で一方的な左翼史観から書かれているが、近年は同じ左翼陣営でも、より実証的に「皇国史観」や「国体論」の内実を検討した著作が幾つか刊行されている。 『近代日本の国体論―“皇国史観”再考』 昆野 伸幸 (著) ぺりかん社 (2007/12刊) 内容(「BOOK」データベースより)明治以後の植民地政策によって展開された国体論が近代的学知との激しい相剋を見せた昭和十年代に注目し、歴史認識の次元から大川周明・平泉澄を詳細に分析することにより、従来の国家主義的歴史観とは区別される“皇国史観”固有の特質を解明する。 目次 国体論研究の視角第1部 国体論の胎動(大川周明『列聖伝』考/平泉史学と人類学/平泉澄の中世史研究)第2部 国体論の対立(平泉澄の「日本人」観/大川周明の日本歴史観/大川周明『日本二千六百年史』不敬書事件再考)第3部 国体論の行方(「皇国史観」の相剋/大川周明のアジア観/三井甲之の戦後)国体論の帰結 『「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策』 長谷川 亮一 (著) 白澤社 (2008/01刊) 内容(「BOOK」データベースより)戦前の歴史観の代名詞「皇国史観」は、非科学的、独善的、排外的などとして、戦後しりぞけられてきた。しかし、そもそも「皇国史観」とは何であったのか?誰が、何のために提唱し、普及させたのか?本書は、「皇国史観」の成立と流布を、戦中に文部省が行なった修史事業に着目して再検証し、従来のイメージを一新。「皇国史観」の何が、いかに問題であるのかを明らかにする。 目次 第1章 戦後における「皇国史観」をめぐる議論の展開第2章 近代国体論の変容第3章 「皇国史観」の提唱と流布第4章 『国史概説』の歴史像第5章 『大東亜史概説』の歴史像第6章 国史編修事業と国史編修院 ★上記2冊は、あくまで「皇国史観」「国体論」の現状での中心的研究者の認識が分かる図書として紹介している。早くこのような、未だに左翼史観から抜けきれない中途半端な著作物が「先行研究」と呼ばれる日が来ればいいのだが。 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 上記二名の研究者によれば、現実に「皇国史観」という用語を使用していたのは、①大東亜戦争中の文部省の側であり、その意味では「皇国史観=①文部省史観(皇国賛美史観・・・汎アジア主義的史観)」なのだが、本ページ上部の見取り図に示したとおり、大東亜戦争の敗戦によって、①文部省史観や、③大川周明の東西文明対抗史観の成立基盤が消滅してしまったことから、戦後は専ら、②平泉学派の「皇国護持史観」が、「皇国史観」として、マルクス主義者や戦後民主主義者といった左翼から、批判・中傷されることになった。 左は、2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回【天皇と憲法】。「皇室廃止」を狙うNHKを始めとする左翼の本音がたまたま表に出た貴重な番組の動画である。※動画の平泉澄の「皇国護持史観」は、日本一国主義(非アジア主義)的史観であり、その内容を一言で表現すればわが国体こそ、寛容で価値多元的な日本的世界(日本的公共性)のコアである。日本国民はこれを護り続けなければならない。ということに尽きる。これは『国体の本義』の論旨そのものであって、何ら左翼から中傷される云われはない。 チャンネル桜で放送された上記動画の検証番組。国体論とは少し外れるが、NHKなど戦後左翼の欺瞞振りを詳しく確認できる。 丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義 植村 和秀(著) 柏書房 (2004/10)単行本 目次 第1章 政論記者丸山真男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山真男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山真男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義 ★評価丸山眞男といえば、進学校の学生が全共闘世代の教師に「夏休み(冬休み)の課題に 『日本の思想』(岩波新書) の中の一章を読んで感想を書け」と言われて、面白くも無いヘンテコで拗けた文書を読まされて難儀するのがオチの“戦後日本を代表する政治思想家”なのだが、そうした丸山の思想に半ば洗脳されていた著者(京産大法学部教授、ドイツ政治思想史専攻)が、京都の古本屋でたまたま、丸山眞男と思想的に対極にある平泉澄の戦前の著作を手に取り、その流麗な文体・精緻な論理構成に打たれて、可能な限りの事実検証・文献検証を重ねて両者の思想的対立の根源に迫った好著。「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」(著者:植村氏)…丸山眞男的あるいは進歩派文化人的な「戦後民主主義」思想にドップリ漬かった人への解毒剤としてお勧め。また昭和初年~昭和40年頃までの日本の思想状況の本当の所を知りたい人にもお勧めしたい。「生きて皇室を守るべし。雑草を食っても生きよ」終戦前後の混乱期における平泉同学の知られざる奮起、まさに大日本帝国の殿(しんがり)としての貢献、阿南惟幾・下村定の陸軍最後の二人の陸相と平泉博士とのエピソードも興味深い。相当にハイレベルだが、“理論派保守”を目指す人は是非挑戦してほしい。amazonブックレビューも参照のこと。 昭和の思想 植村 和秀 (著) 講談社選書メチエ(2010/11)単行本 内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。 目次 第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派第6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価上記『 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 』が内容的にハイレベルすぎて、初心者のみならず中級者でさえ中々に読みこなせないという難点に答えるかのように2010年秋に出版された簡潔な昭和期政治思想の概略本。 ■5.所謂「国体主権」論について 明治憲法体制は、天皇主権でも国民主権でもなく(英米法の「法の支配」に似た)「国体主権」である、と云われることがある。 確かにその論には一理以上のものがある(※佐藤幸治『憲法 第三版』にもそうした記述がある)のだが、「君主といえども神と法(=国体)の下にある」という建前を採るとしても、大東亜戦争の終戦を決定した聖断のケースに見るように、日本においては慣習的にみて「国体の最終判定権者=天皇」でしか有り得ない(神の権威も国体も天皇が代表しているため)のであり、結局は、「国体主権=天皇主権」となると思われる。(西洋的な絶対君主という意味ではなく、「国体の最終判定権者」という意味で) 昭和初期~戦中に、天皇=主権者とされたのは、この意味においてである。 なお、ドイツの代表的政治学者・憲法学者カール.シュミットの定義によれば「例外状況下で決定を下す者を主権者という」とされ、2.26事件やポツダム宣言受諾のケースにおける天皇は、この定義にピタリと該当するほか、実は「議会主権」と云われるイギリスにおいても「議会における女王の制定するものが法である」というルールが同国の法体系の「究極の認定(承認)ルール」とされている(ハートの法概念論⇒詳しくは よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) 参照)。 (※なお、アメリカでは連邦最高裁判所が最終決定権者とされている。) こうした国体の法的把握(=国体法 constitutional law、国制)に関して、詳しくは、日本国憲法改正問題(上級編) を参照。 ■6.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック + ... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/kbnhp/pages/38.html
局名 テレビバブルス 会社名 株式会社テレビバブルス 種類 株式会社 略称 TVB 愛称 TVB 本社所在地 電話番号 設立 2003年10月1日 開局 2004年4月1日 業種 情報・通信業 事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送 資本金 売上高 主要株主 フランボワーズテレビジョン 朝日新聞社 株式会社テレビ朝日 公式サイト コールサイン JO-(D)TV アナログ親局 デジタル親局 リモコンキーID 5 ニュース系列 ANN ネットワーク系列 テレビ朝日ネットワーク 特記事項 テレビバブルス(てれびばぶるす)とは、高知県を放送対象地域とするテレビ局である。旧名称は「新高知放送」。2010年4月1日に現局名に変更。局名変更時は「高知バブルステレビ」に変更する予定であったが、フジテレビ系の「高知さんさんテレビ」と重複する恐れがあるので、現社名となった。ちなみに高知さんさんテレビとは関係が良好である。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2166.html
http //mainichi.jp/select/seiji/news/20090709ddm041040152000c.html NHKスペシャル:国にNHK指導求め、千葉県議会が意見書採択 戦前の日本による台湾統治を取り上げたNHKスペシャル「JAPANデビュー・アジアの“一等国”」を巡り、自民党の国会議員らが「偏向だ」と批判している問題で千葉県議会は8日、番組内容の調査と行政指導を国に求める意見書を自民党の賛成多数で採択した。 意見書は番組について「日本が台湾人を差別や弾圧ばかりしていたかのような印象を視聴者に与える。放送法違反の疑いも濃厚」と指摘した。県議会が特定番組の行政指導を求めるのは異例。放送法は、番組について法律に基づく場合を除き「何人からも干渉されない」と明記している。 毎日新聞 2009年7月9日 東京朝刊 NHKさん「動揺しないで」
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/294.html
↓それは論点が違うだろ 2005/ 3/ 6 11 30 [ No.31270 / 39216 ] 投稿者 ja2047 残念! oj氏は、勝谷誠彦氏の 「不可能性の証明」 が証明として成立しておらず、 人だましの悪質な行為である、 と指摘しているのだ。 「可能性が存在する」以上、「不可能性の証明」は成り立たない。 「可能性に過ぎない」というのは、まったく反論にはならない。 でも、それでは事件を立証できないよ。 繰り返すが、oj氏は「事件の立証」について語っているのではない。 勝谷誠彦氏の「不可能性の証明」が証明として成立しておらず、 人だましの悪質な行為である、 と指摘しているのだ。 これが正当な指摘であることについては、でりちゃんも異論がないから、 話題を「南京事件実在の証明」に振ったということでいいね? これは メッセージ 31269 deliciousicecoffeeさんに対する返信です 戻る
https://w.atwiki.jp/historictears/pages/64.html
NUE-BC NUE-BC(ニュービーシー、Nippon United Empire Broadcasting Corporation)、日本連合帝國公共放送局は日本連合帝國最大の放送局。同時に世界最大の公共放送局。 概要 1937年、日本連合帝國の成立と同時に開始されたテレビ試験放送の為、放送法に基づき特殊法人として設立された。当初は事実上の国営放送(※設立資金は全額国庫負担であった)であったが、当初より非営利・独立採算制を取っており、1956年には設立資金を国庫に返済し、受信料と寄付と放送関連事業とコンテンツ販売のみで運営している。 放送法(日本連合帝國公共放送局設立特別法)に基づき帝國議会の監査の下に運営委員選挙を行い、公正中立な放送事業を行うよう定められている。元国営系であるにも関わらず政府にすら自重しない中立っぷり(≒毒舌っぷり)に定評がある。 日本連合帝國の公用語は各地に於いて異なるため、基本言語を最大の多数派である日本語に定め、各言語圏毎の中央放送局に同時通訳と字幕を用意しての放送を行っている。